日本のラーメンのはじまりは浅草・来々軒!最初は支那そばと!
参照:新横浜ラーメン博物館(浅草・来々軒) |
また中国からの留学生が増えて、東京でも中国大衆店が増えていました。
そして、日本人は中国の麺料理を知ることになりました。
中国の麺料理が、日本人の間で人気なのを知った尾崎貫一(横浜税関勤務の元役人)は、
52才のとき、横浜中華街から中国人料理人を数人雇って、日本人向けの中華料理店を東京・浅草に創業しました。
この「浅草・来々軒」が日本のラーメンの発祥といわれています。
来々軒、拉麺を日本の味に!鶏ガラ醤油スープに日本風のトッピング!チャーシュー、シナチク、刻みネギ
「浅草・来々軒」では、もともと脂っこい中国の拉麺の味を、関東風の濃口醤油の鶏ガラスープにして、チャーシュー、シナチク(メンマ)、刻みネギを乗せた、日本人好みのさっぱりした味に仕上げました。
当時、一杯6銭(1000円前後)で売られ、東京最大の歓楽街である浅草で大ヒットとなりました。
「チキンラーメン」の発売で、ラーメンと呼ばれるように!
ラーメンは、最初は、南京そば・支那そばと呼ばれていたそうです。
ではいつからラーメン(らーめん)と呼ばれるようになったのでしょうか?
中国語では「拉麺」と書き、「拉(ラー)」は「引っ張る」、「麺(メン)」は小麦粉を意味します。
中国では、日本のラーメンのことを、中国の拉麺と区別して、「日式拉麺」と呼ぶそうです。
「ラーメン」という呼び方を広めたのは、日清食品の創業者、安藤百福 (あんどう ももふく)氏が1958年に発明・発売した、世界初の即席ラーメン、「チキンラーメン」だといわれています。
爆発的な即席ラーメンブームにのって、「ラーメン」という言葉が定着していきました。
浅草・来々軒の味を継承する唯一の直系、千葉市・穴川の進来軒
全国に「来々軒」を名乗る店は多いですが、元祖「浅草・来々軒」とは関係ないそうです。
祐天寺「来々軒」(創業者は浅草来々軒や上野来々軒支店でコック長を務め)、千葉市・穴川「進来軒
」(浅草来々軒の血縁者 で19才から働いていた)、の2軒のみが本流だそうです。
なお、本店は昭和51年に、内神田の地で、後継者がなくて、途絶えています。
千葉市・穴川の中国料理「進来軒」は、元祖「浅草・来々軒」の味を継承する、唯一の直系のお店だそうです。
ラーメン好きとしては、当時のラーメンを食べてみたくて、早速行ってみました。
地図を頼りにいったのですが、最初は場所がよくわかりませんでした。
それは、大通りから横道にそれた、住宅街の迷路のような細い道の入り組んだ一角にありました。
近くに、別のラーメン店が2軒あり、進来軒を探し当てるのに少し時間がかかりました。
老ご夫婦でやっています。
昼時間は、満席にお客さんが入っています。
近隣のお客様が多いようです。
最近、味と麺にこだわったさまざまな人気ラーメンがある中で、進来軒のラーメンは、鶏ガラ醤油だしのさっぱりした、東京ラーメンといえる懐かしい味です。
ラーメン以外では、チャーハンとギョーザも美味しいです。
ラーメンの種類はさまざま!ご当地系、チェーン店、スープの種類、つけ麺
全国に3万軒以上もあるといわれるラーメン店、
ご当地系の、
「札幌ラーメン」
「東京ラーメン」
名古屋の「台湾ラーメン」
「尾道ラーメン」
「博多ラーメン」
「熊本ラーメン」など。
「東京ラーメン」
名古屋の「台湾ラーメン」
「尾道ラーメン」
「博多ラーメン」
「熊本ラーメン」など。
チェーン店の、
「一蘭」
「六厘舎」
「一風堂」
「天下一品」
「蒙古タンメン中本」
「二郎系」
「家系」
「青葉系」など。
スープで分けると、
「しょうゆラーメン」
「味噌ラーメン」
「豚骨ラーメン」
「塩ラーメン」
「煮干しラーメン」
「鶏白湯出汁」
「魚介系」
「豚骨醤油系」
「濃厚魚介系」など。
食べ方では、
普通のしるそば、つけ麺、汁なしまぜそばなど。
その他にも、つけ麺の「大勝軒」などの、有名、人気ラーメン店がたくさんあります。
その種類はじつにさまざまです。
数え上げたらきりがありません。
私は、ラーメンはみんな好きです。
一番は醤油系の東京ラーメンです。
「浅草・来々軒」の味を継承した千葉穴川「進来軒」のラーメンには納得しました。
おわりに
ラーメン好きの聖地、新横浜ラーメン博物館に、浅草・来々軒が出店
新横浜ラーメン博物館が調査・裏付けを行い、創業者の孫・髙橋邦夫氏、玄孫・髙橋雄作氏が承認をし、「支那そばや」が再現・運営をする再現プロジェクトです。
新横浜に行く機会があったらぜひ食べてみたいと思います。
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